作者略歴 |
二代六兵衛の次男として生まれ、初めは紅花問屋に奉公に出ていたが、父が長男を清水七兵衛として分家させたため、家に戻され1838年18歳の時に三代六兵衛を襲名。 彦根井伊家の湖東焼に従業、また、1853年には禁裏御所守護職大久保大隈守、長谷川肥前守の用命により陶製六角雪見燈篭を制作、明治以降は1875(明治8)第4回京都博覧会銅牌受賞、1877(明治10)には、第一回内国勧業博覧会で鳳紋賞銀牌受賞、1878(明治11)に名古屋博覧会に出品、銀牌を受賞など各展覧会にて活躍を残し、そのほかパリ万国博覧会出品、シドニー万国博覧会、アムステルダム万国博覧会など、世界に日本陶磁を広げた功績は大きい。 作風は二代を受け継ぎながら、独自に豪放、大胆な大作を残す。 又絵付けに関しても小田海僊に師事し、染付、赤絵などに非凡さを発揮し、個性的な以後の末代六兵衛につなげる「六兵衛様式」を樹立させ清水家中興の祖とされる。 展覧会を背景にした大作主義のほか西洋食器やコーヒー碗なども作り、当代きってのモダニズムとしての一面も覗かせる。
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